ホテルの敷地は元々お城があった場所?

ホテルの歴史

ホテルの敷地は元々なんだったとよく聞かれます。

ホテル開業は1934年(昭和9年)、常磐館開業は1912年、その前は?別荘地であったと聞いております。それではその前は?

天守閣の絵がある鳥瞰図

そういえば鳥瞰図に常磐館、宴会場、梅別館(現和食竹島)があり何故か六角堂の場所に小さなホテル、その上の丘に城の絵とそこに「天守閣」という表記があります。その前は絵の通りシャチホコ付きの立派なお城があったのだろうか?いえいえ、少し違うようですね。

話はそれますが、とても面白い鳥瞰図でホテル建設計画前のものと思われます。1916年(大正5年)の梅別館がありますのでそれ以降、ホテルの位置が違うので1934年(昭和9年)以前と推測できます。以前先輩にこの鳥瞰図のホテルの屋根には天守閣がないが国に国際観光ホテルに申請する際、遠く伊勢・鳥羽まで見渡せるようにという指示があり天守閣を増設したと教わりました。。。いい話ですよね。この話を信じると天守閣を増設するだけでなくホテルの規模、そしてさらに上段にホテルを建設したということが考えられます。すごい計画変更ですね。

諸国小城図・不相城
諸国小城図・不相城

お城はやはりあったようです。その名も「不相城(ふそうじょう)」この辺は府相(ふそう)地区ですがここからきてるのですね、多分。広島私立中央図書館・浅野文庫絵図によりますと複雑な配置等から相当な規模のお城であったと推測されるようです。またこの頃のお城は石垣があり何階も有るような作りではなく平城だったと言われているようです。不相城は1550年頃に築城され上ノ郷城主、鵜殿長持の弟長成が居城したと言われておりますが1562年の上ノ郷城落城の際に城を捨てたそうです。短命ですね。。。

場所は何処だったのでしょう?わかりませんが絵図を見ますとこの丘全体に建物が点在していたのではと思います。ホテル裏の大松の所にお城があったということになると不相城跡地としてできるんですけどね。市内が見渡せるいい眺めです、柵だけでも作ろうか検討します。

蒲郡クラシックホテルのある場所は1550年頃不相城(城主:鵜殿長成)があった。

ということで昔は「不相城」があった場所であるということに会では認定しました。



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